1行100万円のコピーライター、 僕、野崎美夫が教えます!

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コピーライター野崎美夫

コピーや文章が書けないと
悩み苦しみ、
途方に暮れているひとに

「書ける!」という
自信と根拠をご提供する、
ダウンフレーム・コピーライティングの
野崎美夫です。

 

僕は、22歳のときから35年間、
いまも現役のコピーライターとして

マス広告からDRMまで、
ありとあらゆるコピーを
書いてきました。

 

けれど、
僕ほど書けないコピーライターは
いませんでした。

 

京都の同志社大学の文学部を
卒業した僕ではありましたが、

体育会バスケットボール部の練習と
学費や生活費を稼ぐための
アルバイトに明け暮れていた僕は、

本こそたくさん読んではいましたが、
書くことについては
未経験者そのものだったのです。

 

当時は
コピーライターブーム真っ盛り。

糸井重里さんを筆頭に、
きらきらと輝く
スターコピーライターの人達が
一世を風靡していた時代でした。

 

そんななか、
僕はコピーライターとして就職した
六本木の片隅の
小さな広告制作会社で
コピーを書いていたのです。

 

コピーといっても、
トラックの
パンフレットやチラシのコピー。

 

いわゆる巧みな言い回しや、
ひとを感動させるコピーとは
まったく違い、

求められていたのは、
ただの商品説明のコピーだったのです。

 

しかし、
そんなただの商品説明のコピーさえ、
僕はまったく書けなかったのです。

 

誰もいない会社に
週末もひとり籠もり、

書けないと途方に暮れながら
窓の外に広がる
青い空を眺めていた35年前の僕を
いまでも忘れることはできません。

 

机のうえに広げた原稿用紙を前に、
たった一行のコピーも書けず、

徹夜の日々を
繰り返していたのです。

 

それでもなんとかしようと、
当時月給10万円を切っていた
給料日には、

きまって六本木の
青山ブックセンターという
いまもある大型の本屋さんで

広告やコピーに関する本を買い込み、
必死で読んでいました。

 

20代の頃、僕が読んでいない
広告やコピーの本は
存在しませんでした。

 

広告やコピーに関する
ありとあらゆる本、
いやすべての本を読んでいたのです。

 

それでも、そこには
コピーが書けるようになれる
そんなノウハウは
書かれていませんでした。

 

藁をもすがるそんな想いで
いまは廃刊となった
広告批評という雑誌が主宰する
「広告学校」に入学しましたが

さまざまな課題が出されるなか、
僕はその課題がクリアできず
劣等生のまま。

 

それでもあきらめず、
「宣伝会議」という雑誌が主宰する
コピーライター養成講座にも
通いましたが

やっぱり書けないままの
そんな毎日が
何年も続いたのです。

 

気がつけば27歳を過ぎ、
30歳までには
一流のコピーライターになるんだと

根拠のない目標を掲げていたものの
その目標を達成する目処も立たず、

相変わらず
書けないコピーライターとして
まい日18時間くらい働いていました。

 

そして、トラックの広告から
軽自動車の広告へと少しずつ
仕事の世界を広げていた僕が、

2度目の転職で入社した会社は
本田技研のテレビCFや
広告キャンペーンを担当する

業界では有名な
広告プロダクションでした。

 

相変わらず
書けないコピーライターとして
悪戦苦闘は続けていた僕を

その会社の社長がある日突然呼び出し、

 

「君にこんどのプレリュードの
 新発売キャンペーンを
 担当してもらうことにした。

 ほんとうは君なんかに頼みたくは
 なかったんだけど、

 担当していたコピーライターが
 辞めることになって

 いま手が空いている人間が
 誰もいないから、
 仕方なく君に頼むことにする。」

 

と言い放ったのです。

 

そんな、頼まれ方をしてはじまった
ホンダ・プレリュードの
新発売キャンペーン。

僕は一日3時間足らずの睡眠時間を
1年間つづけ、

テレビCFから新聞・雑誌広告、
パンフレット、チラシ、POPまで

たったひとりで
すべてのコピーを書いたのです。

 

たった一行も書けなかった僕が、
クルマの知識もろくなかった僕が、
なぜそんなことができたのか。

それは、僕が
あるコピーライティングの秘密を
発見したからなのです。

ゼロから書こうとするから
書けない。

 

ならば、
自分がいいなと思う見本を探してきて、
その見本のコピーの構造を研究して、
あてはめていったらどうだろう。

 

僕は、本田以外の
トヨタや日産、マツダをはじめ、
日本の自動車メーカーのカタログを集め、

特にスポーツカーのコピーを研究し、
その文章構造に
ホンダ・プレリュードの商品特徴を
あてはめていったのです。

 

新発売キャンペーンがはじまり、
僕が担当した4代目プレリュードは、
爆発的人気で売れに売れたのです。

 

僕が書いたコピーは、
本田技研の社内でも絶賛され、
僕は社長の挨拶文の代筆まで
まかされるようになっていました。

 

気がつくと、僕は
30歳になっていました。

 

僕が担当した
ホンダ・プレリュードの
新発売広告キャンペーンは、

さまざまな賞も獲得し、
僕はある広告代理店から
ヘッドハンティングされたのです。

 

僕の年収は、22歳のときから
10倍にアップしていました。

その後、独立し、
広告制作会社を設立しました。

 

年々会社は大きくなり、
40歳のときには社員数80人を越える、
広告制作会社を

東京銀座の
あのシャネルの本社と
同じビルで経営し、

年収1億5千万円を
突破していたのです。

 

そうやって会社を大きくできたのは、
まったく書けなかった僕が
書けるようになった、

そのノウハウで若いコピーライターを
次々と育てていけたからでした。

 

そして、いま

書けないと悩み苦しみ、
途方に暮れてきたあなたに。

それでも
頑張りつづけている
あなたに。

僕の
“ダウンフレーム
コピーライティング”
メソッドで、

必ず書けるように
なっていただきたいのです。

 

僕には、
見えるのです。

「書ける!」

という
自信と根拠に満ちあふれた、

こぼれるような笑顔の
あなたが
見えるのです。

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