僕の母が亡くなったのは
僕のせいでした。
僕の母は、
重度の躁鬱病で
ずっと苦しんでいました。
ところが、
そのことを僕は
あまり深刻には
受け止めていませんでした。
77歳で母が亡くなる
数年前から、
母は鬱期に入ってしました。
そろそろ躁に
なる頃かなぁなどと、
僕は
たかをくくっていたのです。
母が亡くなる数日前、
母がご飯を食べなくなってしまったと
実家の父から連絡が来たのです。
そのときすぐに
実家にいき、
強制的に病院に連れていけば
よかったのですが。
仕事が忙しいからという、
いま思い返すと
理由にもならない理由で、
僕は、
実家にいくのを
先延ばしにしていました。
そんななか、
母は心筋梗塞で亡くなって
しまったのです。
あのとき、
すぐに僕が実家に駆けつければ、
母は亡くならないで
よかったのです。
重度の鬱で、
ものを食べる気力も
なくしていた。
そんな母は、
どんなに寂しく辛かった
でしょうか。
息子である僕がいって、
すぐに病院まで
連れて行けばよかったのです。
母の告別式の前の日、
湯灌といって
亡くなった母のからだを
お湯で洗い清めてあげました。
亡くなってから、
そんなことをしたって、
なんの親孝行にもなりません。
それは、
親孝行というより、
後ろめたい僕の気持ちを
ただ慰めるだけの
自己満足でしかなかったのです。
母になにもしてあげられなかった
僕がつくった
キャッチコピー。
「僕があなたにできること。」
母の気持ちを
キャッチしてあげられなかった
どこまでも馬鹿な自分を
悔いながら、
これからは、
ひとに自分ができることに
全力を尽くそうと
誓ったのです。
そして、
今回は
この
「僕があなたにできること。」を
ダウンフレームファイルとしても
ご紹介させてください。
「〇〇〇が〇〇〇にできること。」
「私が私の未来にできること。」
保険や投資商品の
キャッチコピーが
できあがりました。
なにができるかは、
このキャッチコピーの読み手の
想像力におまかせするのです。
その想像力をかきたてるのが、
このキャッチコピーの
狙いなのです。
あなたも
ぜひダウンフレーム
してみてください。
1958年、横浜生まれ。同志社大学文学部卒業。
広告企画制作・株式会社エヌワイアソシエイツ、総合広告代理店・株式会社インターストラテジー、ソーシャルメディア専門広告代理店・株式会社ソルト等の経営者であり、広告プロデューサー、ブランディングプロデューサー、コミュニケーションクリエイター、ディレクター、コピーライター、コーチ、セミナー講師、作家、詩人として幅広く活動。大手企業の広告キャンペーンを手がけ、多くの商品をヒットに導く。30年以上の広告人としてのキャリアの中で培った、商品の隠れた可能性を見つけ、付加価値を高める独自のブランディング手法を確立。そのブランディングノウハウを広く提供し、著名人の撮影やクライアントのパーソナルブランディングをプロデュース。プロフィール構築からポートレート撮影、目標達成や成功をサポート。クライアントは多岐にわたり、カリスマブランディングプロデューサーとしても定評を集める。マイケル・ボルダック認定コーチ。経済産業大臣登録中小企業診断士。